小説は過去を表現するもの

言葉は常に後からくるものです。まず物体があって、それを区別するために物体に名前をつける。

何かが起こる。それを表現する。紙の上に再現する。これが言葉の役割です。

過去を見つめることが、物語や小説を書く原点だと思います。

人間が山登りをしているとすると、作家の役割は最後尾を歩くこと。先を歩いている人たちが、人知れず落としていったもの、こぼれ落ちたもの、そんなものを拾い集めて、確かにそれがこの世に存在したのだという印を残すために物語の形にしている。そんな気がします。

ですから、自分の経験した過去を書く必要はないわけです。人が落としていった記憶を想像していけばいいのです。

あらゆるものの観察者になる

過去を見つめるという態度は、作家が観察者になることです。

作家自身が小細工したりこねくり回したりできる範囲は非常に狭いものでしかない。

ただ、誰かが落としていった記憶のかけらを拾い集めて、その人が言葉に出来なかったことを、たまたま自分に言葉という手段があったから物語にするだけのこと。

その物語は、語られるのを待っていて、それを作家が見つけるだけなのです。

不器用で小さな自分の内側に物語を据えることで、自分の外側にある現実のありようまで変化できる。
自分の作った物語によって、自分を救うこともできるのです。

物語とは

物語とは、普通の意味では存在し得ないもの、人と人、人と物、場所と場所、時間と時間などの間に隠れて、普段はあいまいに見過ごされているものを表出させる器ではないでしょうか。

あいまいであることを許し、むしろ尊び、そこにこそ真実を見出そうとする。それが物語です。

物語は、読み手が合わせるのではなく、どんな人の心にも寄り添えるようなある種の曖昧さ、しなやかさが必要になると思います。

到着地点を示さず、迷う読者と一緒に彷徨するような物語を書きたいと願っています。

作家に必要なもの

レイモンド・カーヴァーは、「書くことについて」というエッセイの中で、「作家にはトリックも仕掛けも必要ではない。それどころか、作家になるにはとびっきり頭の切れる人間である必要もないのだ。たとえそれが阿呆のように見えるとしても、作家というものはときにはぼうっと立ちすくんで何かに見とれることができるようでなくてはならないのだ。頭を空っぽにして、純粋な驚きに打たれて」と語っています。

ぼうっと立ちすくんで、夕日や空を眺める。それはまさに、自分が世界の一部分であることの確認です。そして純粋な驚きに打たれる時、その驚きを自分だけに特別に授けられた宝物として受け取り、物語としていくのです。

「同じ本で育った人たちは、共通の思いを分かち合う」いつかそういう場面で、自分の書いた物語を誰かが挙げてくれるとしたら、作家としてこれほど大きな幸せはありません。もちろん、その時既に作家はもう死んでいるかもしれません。しかし、自分が死んだ後に、自分の作品が読まれている場面を想像しながら、今日も執筆を続けるのです。
出典「物語の役割」