誰もが物語を作り出している

非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに、自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとします。

そこで一つの物語を作っているのです。

現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけではなく、自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてという風に、自分の記憶の形に合うように変えて、現実を物語として自分の中に積み重ねていきます。

誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。

現実を言葉で表現する

作家は特別な才能があるのではなく、誰もが日々日常生活の中で作り出している物語を、意識的に言葉で表現しているだけのこと。

自分の役割はそういうことなのではないか、と思うようになりました。

とうてい受け入れられない現実を、どうにかして受け入れられる形に転換していく。

その働きが、物語であると思うのです。

物語は、そこかしこにあるのです。人間すべての心の中にある。

記憶の中にある。誰でも生きている限り、かたわらに自分の作った物語を携えているものです。

ストーリーは、作家の頭の中の空想とか、妄想から生まれるのではなく、現実の中に隠れている。

その現実を体験した人が、それを言葉にしたとき、それはそのまま物語になると思うのです。

だれでも皆、小説的な、小説になるような題材をたくさん持っている。

作家として

作家として作品に息詰まった時には、現実をみればいいんだと思うようになりました。

作家はその作品の1から100まで、全部自分一人の責任で書いているのだから、自分の思い通りにできると思われることもありますが、実際はそうではありません。

目に見えない偉大な何かの導きがなければ、作品も生まれてこないのです。

「こっちへ行こう、こういう風に世界を広げていこう」というような、物語自身がもっている力に導かれないと作品はなかなか書けないと思います。

一人の作家の頭の中で考えることのできる程度はたかが知れていますので、作家が先頭に立って、登場人物たちをぐいぐい引っ張って書くようなストーリーよりも、自分の思いを超えた、予想もしない何かに助けてもらうと、面白いストーリーが生まれると思うのです。

これからどうしたらよいのか、この次の場面、次の一行をどうするかと、自分の頭の中だけで考え始めると、視野が狭くなり、息詰まってしまう。

自分の思いを突き抜けて、予想もしなかったようなところへストーリーを運んで行ってくれるのは、自分以外の何かであるのではないか、常々そう思うのです。

「書くこと、文章に姿を現させることは、皆が知っていながら、誰一人言えずにいることを発見しようとする試みである。」と、あるフランス人作家は言いました。

まさに、作家は現実のなかに既にあるけれども、言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出し、掘り出して、それに言葉を与えるのです。

自分が考えついたわけではなく、実はすでにそこにあったのだ、というような謙虚な気持ちになったとき、本物のストーリーが書けるのではないか、という気がしています。

作家になるためには、想像力、空想の力が必要だと言いますが、むしろ現実を見る、観察する、そういう視点も非常に重要になってくると思われます。